卒業式の式辞
校庭の桜の木に新しいつぼみが膨らみ、私たちの岡部小学校にも春の息吹が感じられるようになりました。本日、平成三十年度第七十二回卒業証書授与式を、深谷市協働推進部長 寺田由美子(てらだ ゆみこ)様、深谷市議会議員 吉田幸太郎(よしだ こうたろう)様、深谷市教育委員会学校教育課指導主事 栗原秀人(くりはら ひでひと)様をはじめ多くのご来賓の皆様においでいただき執り行えますことは、大きな喜びであります。厚くお礼申し上げます。
また、保護者の皆様には、卒業生の晴れの姿を前に、お喜びはひとしおかと存じます。心からお祝い申し上げます。
さて、岡部小学校を巣立つ四十七名の皆さん、卒業おめでとうございます。今、一人一人に卒業証書を手渡しました。皆さんは、小学校の六年間、よく学び、よく遊び、心と体を鍛え、たくましく成長しました。皆さんの活動の積み重ねによって、『元気と笑顔 よいこといっぱい岡部小学校』の歴史にすばらしい一ページが加わりました。
私は、卒業にあたり、次のことを伝えたいと思います。それは、
「出会いを大切に夢に向かって努力する。」ということです。
野口源三郎(のぐち げんざぶろう)さんという名前を聞いたり、目にしたりしたことがあるでしょうか。今年の冬、NHKの大河ドラマで「いだてん」という番組を放映していました。主人公の金栗四三(かなくり しそう)の大親友であり、日本スポーツの育ての親と呼ばれているのが、この野口源三郎(のぐち げんざぶろう)さんです。実は、野口さんは、深谷市の出身であり、なんとこの岡部小学校の卒業生なのです。みなさんの大先輩です。岡部小学校を卒業したあと、埼玉県師範学校、現在の埼玉大学ですが、そこを卒業し、母校である岡部小学校に先生としても勤務されています。もともと、運動全般を得意とし、仕事の傍ら練習と勉学に励み、以前から希望していた東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学します。そこで、いだてんの主役、金栗四三(かなくり しそう)や当時の校長で柔道の創始者としても有名な嘉納治五郎(かのう じごろう)校長と出会います。そこで、陸上競技でオリンピックに出場したいという夢をもちました。大変な努力を重ねた末、一九二0年、ベルギーのアントワープで行われた『第7回オリンピック大会』に『陸上十種競技』の選手兼主将として参加することができました。入場式では、野口さんは選手団の先頭に立ち、旗手も務めたそうです。残念ながら結果は振いませんでしたが、海外選手と体格差や体力差を肌で感じた野口さんは、今度は、自身の夢を日本スポーツの発展へとつなげていきました。欧米の現状を視察し、スポーツの技術や知識を持ちかえりました。日本初の体育学部が東京教育大学(現在の筑波大学)に創設されると、そこの学部長に就任し、多くの競技者を育てあげました。七十九歳でその生涯を閉じるまで、体育教育の普及に関わり続けたそうです。
こんな素晴らしい先輩が、この岡部小学校にはいらっしゃるのです。野口さんの生き方から、まさに、出会いを大切にし、自分の夢に向かって努力すること、そして、それを続けることを学ぶことができます。
みなさんの夢は一人一人、それぞれ違っていると思います。しかし、どのような夢でもその実現に向けて、覚悟を決めて努力するということは同じだと思います。卒業生のみなさん、これから中学校に行っても、この野口さんのように出会いを大切にし、自分の夢に向かって努力し、輝く未来に向かって歩んでいってください。
本日ご参列くださいました保護者の皆様に、お祝い申し上げます。お子様の義務教育六カ年間が無事に終えられ、今日この日を迎えられましたこと、本当におめでとうございます。本日の晴れやかな姿をご覧になり、感激もひとしおのことと思います。今後とも、お子様が社会的に自立できますように、また、お子様の夢の実現に向け温かく見守っていただきたいと思います。六年間にわたり、本校の教育活動にご理解ご協力を賜りましたことに、心から感謝申し上げます。
結びに、四十七名の卒業生の限りない発展を祈念するとともに、ご臨席を賜りました多数のご来賓の皆様、保護者の皆様に感謝申し上げ、式のことばとします。
平成三十一年三月二十二日
深谷市立岡部小学校 校長 強瀬 哲朗