令和元年度 第3学期 始業式あいさつ
皆さん おはようございます。
また、明けましておめでとうございます。
元号がかわり、令和2年がスタートしました。
みなさん、冬休みはどうでしたか。
どうしても、年末とお正月には、寝る時間が遅くなり、生活のペースが、くずれてしまっていたかと思います。今日から、また、早寝、早起き、そして、しっかり朝ご飯を食べて登校してください。
2学期の終業式は、インフルエンザの対応として放送で校長先生の話をしました。全校のみなさんが元気にまた、登校できたことをうれしく思います。
さて、今日の校長先生からの話は、みなさんが住んでいる深谷市のことについてです。なぜ、深谷市は郷土の偉人「渋沢栄一翁」の心を受け継ぐ教育に力をいれているのか。渋沢栄一翁とはどんな人物だったのかということについて、改めてお話をしてみたいと思います。
1つめ。栄一翁はいつごろ活躍をした人物なのか。2つ目。どんなことをした人物なのか。3つめ。なぜ深谷市では、栄一翁のこころを受け継ごうとしているのか。この3点について、話します。
まず、1つ目、ですが、栄一翁は、いまから180年まえ、西暦でいうと1840年に血洗島、今の八基小学校の近くで生まれました。時代でいうと江戸時代です。4年生以上の人は、栄一記念館にいったり、社会科で学習をしたりしたかと思います。江戸時代のおわりから明治、大正のころに活躍をしました。世の中が、武士の時代からちょうど、明治維新があり、外国から文化など最も影響を受け、時代が大きく変わったころです。
2つ目、豊かな農家の子として生まれた栄一翁は、論語を学びます。さらに、忙しい父親のかわりに家の手伝いもしました。当時の岡部藩の陣屋に出向いたこともあるといいます。岡部小のすぐ近くの17号国道、普済寺交差点を北に進むと菅原神社がありますが、そのあたりが陣屋あとです。27歳のとき、江戸幕府の代表の一人として、パリで行われた万国博覧会に勉強にいきました。時代が変わり、明治政府の一員として当時の大蔵省でも仕事をします。その後、大蔵省をやめてから、約500近くの会社を立ち上げます。代表的なものとして、第一国立銀行(今のみずほ銀行)、日本製鉄、東京ガス、帝国ホテル、東京証券取引所、秩父セメント、キリンビール、サッポロビール、一ツ橋大学、東京経済大学など企業や大学をつくることに携わりました。「近代日本経済の父」とよばれました。その後、障害をもった人や、身寄りのないひとのための施設長を58年間務めたり、アメリカとの交流で、青い目の人形をもらったりしました。
3つめ、栄一翁のどんなこころを受け継ごうとしているのか、渋沢栄一翁のことばに、「夢七訓」があります。夢をもつこと、そして、実現に向けて努力することの大切さ、そして、利益を独り占めにしないで、世のため、人のためにという広いこころを大切にしました。このような栄一翁の生き方を、深谷市の児童生徒のみなさんにも育てたいということなのです。
栄一翁は東京に住まいをもちましたが、故郷である血洗島には機会あるごとに訪れ、『煮ほうとう』を好んで召し上がったことから、現在も命日である11月11日近くの給食で、この『煮ほうとう』がだされているのです。
みなさんにも栄一翁のように、夢をもってもらいたいと思います。自分の夢について考えることには大きな価値があると思います。
新年にあたってみなさんには是非夢を見つけて努力をしてもらいたいと思います。
校長先生としての今年の夢は、岡部小のみなさんと岡部小の先生方全員が、お互いを尊重し、誇りを持ち、自慢できる学校にして、将来、みなさんの幸せにつながる力を育てていきたい、ということです。
3学期には、学力向上のための『岡部小チャレンジ』を今年もやります。
では、3学期も頑張りましょう。校長先生からの話は以上です。
令和2年1月8日